ヤマブキと道灌

ヤマブキというと、昔、落語で聞いた太田道灌の「山吹の里」の伝説を思い出します。8代目桂文楽が初めて高座で演じたと言われるその噺を紹介しましょう。
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室町時代中期の武人・太田道灌は、狩りをしている時に雨に遭い、雨具を借りようと1軒のあばら家に立ち寄った。うら若き少女が出てきて頭を下げ、「お恥ずかしゅうございます」と言いつつ山吹の枝を盆に乗せて差し出した。

道灌が意味をつかみかねていると、家来のひとりが
「『七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき』
という古歌がございます。これは『実の』と『蓑(みの)』をかけ、『お出しできる雨具はございません』という断りでございましょう」と進言した。

これを聞いた道灌は「ああ、余はまだ歌道に暗い」と嘆き、それ以来、和歌に励み、やがて歌人としてその名を知られるようになった。

これを聞いた八五郎は「うちにもよく傘を借りに来る男がいる。ひとつその歌で追っ払ってやろう」と思いつき、歌を仮名で隠居に写してもらって帰宅する。

ほどなくして雨が降り出し、その男が飛び込んでくる。からかうチャンスがやって来たと感じた八五郎は内心で喜ぶが、男はすでに傘を持っていて、「提灯を貸してほしい」と八五郎に頼む。

雨具でなければ「蓑ひとつだに」ができないため、八五郎は困り、「『雨具を貸してください』と言やァ、提灯を貸してやらァ」と男に告げる。男がしかたなく「雨具を貸してくれ」と言うと、八五郎は少女を演じ、「お恥ずかしゅうございます」と言いつつ、歌が書かれた紙を差し出した。

男はそれを「ナナヘヤヘ、ハナハサケドモ、ヤマブシノ、ミソヒトダルト、ナベトカマシキ」とつかえながら読み、「短けェ都々逸だな」と感想を漏らす。

八五郎が「都々逸? おめえ、よっぽど歌道が暗ェなァ」とからかうと、

男は、「カド(=角)が暗ェから、提灯借りに来た」

(八咫烏)

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